小谷城の清水谷,山崎丸,福寿丸の紹介

 小谷城は浅井氏三代の居城として多くの方がご存知で、登られた方も多いと思いますが、登るのは小谷寺のある登山口から金吾丸を経て馬洗池〜黒金門〜本丸〜京極丸〜山王丸を往復するるのが一般的です。
このコースは、幾つもの見所がある上、車で山腹まで登れるのが何より助かりますね。(^^)
しかし、小谷城には他にもいろんな遺構が残っています。二度目に登られるときには是非これらの遺構も見て頂きたいと思い紹介します。

清水谷(きよみずだに)

 清水谷は織田信長が小谷城攻めをした際に、家臣・羽柴秀吉が攻め上がったことで、知名度は結構高いのですが、登られる方は意外と少ないようです。
この谷には、知善院跡や浅井家の菩提寺の徳勝寺跡をはじめ、三田村屋敷や大野木土佐守屋敷等、家臣団の屋敷跡があります。これら屋敷跡には石垣が残り、またあちらこちらに竪堀を見ることが出来ます。


清水谷への入り口 清水神社 大野木土佐守屋敷跡の石垣 三田村屋敷跡近くの竪堀
清水谷への入り口 登り口は山麓にある清水神社から 大野木土佐守屋敷跡の石垣 三田村屋敷跡近くの竪堀

*) 以前、清水谷の読み方を「しみずだに」としていましたが、2005年1月に、地元の万福丸さんらから、「きよみずだに」が正しいとご指摘頂きました。
 いろいろ調べてみましたが、どちらが正しいのか私には分かりませんでした。
しかし地名については、やはり地元で呼ばれているのが、最も正しいとの判断で、「きよみずだに」と訂正させて頂きました。
万福丸さん、ありがとうございました。m(_ _)m


山崎丸
 山崎丸は、元亀元年(1570)に織田信長が江北に進攻し、横山城に布陣したとき、浅井長政は朝倉氏に救援を乞い、朝倉氏の家臣・山崎吉家が砦を設けたところからこの名がつけられています。
福寿丸から尾根を200〜300m下ったところに位置しており山麓の清水神社からは尾根伝いに約15分登ったところです。
詳細は山崎丸のページを参照。

 山崎丸跡に建つ石碑  山崎丸の土塁  山崎丸の枡形虎口
山崎丸跡に建つ石碑 曲輪内部の土塁 枡形虎口を形成する土塁の一部


福寿丸
 名前の由来は浅井氏の一族、浅井福寿庵惟安が居城としていたことからこの名が付けられているようです。
福寿丸は小谷城の外城であるとされており、大嶽(おおづく)城から南西の方角にある尾崎山の尾根を約600mほど降りると着きます。また、麓からは清水谷の北側に位置する清水神社から山崎丸を経て25〜30分です。
詳細は福寿丸のページを参照。

 福寿丸の石碑  福寿丸の土塁  福寿丸の空掘
福寿丸跡に建つ石碑 曲輪内部の土塁 曲輪の周囲に配置された空堀


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近江の城郭