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景陽山 総見寺

織田信長,信雄の墓
  総見寺は景陽山と号し、臨済宗。はじめ、伊勢国大島村にあって西明寺といったが、天正年中(1573〜)織田信雄が、父信長菩提のため清洲に移し、僧忠獄を開山として今の寺号に改めた。慶長16年(1611)清洲からこの地に移建した。
 寺宝に信長公ゆかりのものが多く、織田信長公画像をはじめ9点が県指定文化財である。
名古屋市教育委員会

信長廟
織田信長の廟


信長の墓
織田信長の墓


信雄の墓か
織田信雄の墓か?



【所在地】
名古屋市中区大須3-23-38
詳細位置はコチラ

【訪問日】2005年4月9日
【現地を訪れて】
 大須の繁華街から少しはずれたところにあり、山門横に「織田信長公由緒地」の碑が建てられている。
信長公碑の門をくぐると、3m×3mほどの廟があり、中の小さな宝篋印塔が信長の墓であることは疑うべくもないが、信雄の墓らしきものがない。信長廟を横に廻ると、廟を削って小さな宝篋印塔が置かれていた。
これがこの寺の開基・信雄の墓だとすれば、あまりにも粗末な墓でだと感じた。
 また、この寺には信長の肖像があるというが、寺の中は人気はなく、観光案内も無かった。一般公開されていないのか・・・・・・・。

 名古屋市内に総見寺があると知って、安土山にあるハ見寺とどういう関係なのか気になっていたのだが、安土のハ見寺とは直接関係は無かった。
 信雄は信長の生前は北畠信雄と称し、北伊勢を領していたが、信長死後開かれた清洲会議の結果、信雄は尾張を領することになる。この時に信雄は伊勢でなんらかの関わりのあった西明寺を伊勢から尾張に移し、安土山のハ見寺に習って、寺名を「総見寺」としたのであろうことが推察できる。



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