織田信長と織田一族ゆかりの史跡
HOME < 織田信長と織田一族ゆかりの史跡

 織田信長は、天文3年(1534)5月12日に織田信秀と正室・土田御前の間に織田家の三男として生まれ、その出生地は那古野城とも、勝幡城ともいわれている。
 幼名を吉法師といい、幼くして那古野城の城主となり、天文16年(1537)13歳で元服し織田三郎信長と名乗りを改めた。初陣は翌17年の三河吉良の大浜での戦いである。
天文18年頃に美濃・斉藤道三の女(濃姫とも帰蝶ともいわれているが定かではない)を娶り、天文23年(1544)には三郎信長から上総介信長と改めた。

 その後は永禄3年(1560)に尾張・桶狭間で今川義元を破ると、同10年(1567)には斉藤龍興の居城・稲葉山城を攻略して美濃を支配。同11年には第15代将軍足利義昭を奉じて近江に侵攻すると、元亀元年に姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を破り、天正元年(1573)には越前朝倉氏,北近江の浅井を滅ぼし、伊勢長島一向一揆を殲滅。天正3年(1575)には長篠で武田勝頼を破って天下統一への道を駆け上った。
しかし、天正10年(1582)6月2日、家臣である明智光秀の謀反により本能寺で自刃。49歳の生涯を終えた。

 信長の生き様は、彼が好んだとされる幸若舞・敦盛の一節「人生五十年、下天のうちに比ぶれば 夢幻の如くなり ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」そのものであるといえる。

 信長には24人の兄弟姉妹がいたとされ、信長自身にも24人の子供がいたとされているが、信長が本能寺で倒れてから時代は急転直下、豊臣秀吉から徳川家康へと流れ、織田一族は信長という英傑と共に歴史の表舞台から姿を消してしまう。ここでは、織田信長とその一族の史跡を紹介する中で彼らの波乱に満ちた人生を振り返ってみたい。

− 山形県−
健勲神社 織田天童藩のゆかりの地天童市にも織田信長が祀られている


− 石川県−
野田山・前田家墓所 信長の四女・永姫は加賀藩二代目藩主前田利長に嫁いでおり、野田山の前田家の墓所に玉泉院として墓がある


− 福井県−
織田剣神社 New 織田家の庶流を辿ると近江津田郷に住し、織田剣神社の神職になったとされる


− 滋賀県 −
安土城 信長が築いた近世城郭の先駆けとなる城
安土城内の信長廟,織田信雄四代の墓 大徳寺での葬儀の後、秀吉が建てたと云われる信長廟が二の丸にある。また、二の丸下には、織田信雄と、信雄の四男・信高、およびその子の長頼,孫の信武の墓がある
ハ見寺 織田信長が安土城内に造立した臨済寺の寺
西光寺 西光寺は信長が安土に建立、豊臣秀次が安土より近江八幡に移した寺で、境内には信長の墓がある
浄厳院 信長が六角氏の菩提寺である慈恩寺を破壊して近江・伊賀の浄土宗総本山として創建した寺で、安土問答が行われた寺として知られる
セミナリオ跡 信長は安土の城下に、イエスズ会が日本のキリシタンの聖職者を養成する教育施設であるセミナリオの建設を許可した
梅の川 信長が茶の湯に使ったとされる湧き水
信長馬つなぎ松 元亀元年に信長が千種越えをした際に馬を繋いだと云われる松
大善寺 大溝城主・織田信澄の菩提寺
姉川の戦い・古戦場 織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が雌雄を決せんと姉川を挟んで戦った


− 岐阜県 −
岐阜城 井之口を「岐阜」と改称し、「天下布武」の印判を使用し始め、この城を拠点として、天下統一をめざした城下町つくりに着手
崇福寺 織田信長の菩提寺、信長と信忠の墓がある
円徳寺 天文16年(1547)斎藤道三と戦って破れた織田方の将士を祭った織田塚,楽市楽座制札、および信長が寄進した梵鐘がある
光得寺 寺の梵鐘は織田信長が合戦の時に陣鉦として使用したと云われている
道三塚 信長の舅・斉藤道三の供養塔が建てられている
正徳寺(聖徳寺) 信長と道三が会見をした寺、木曽川の辺にあったが現在は廃寺となっている
久昌寺 信長の側室吉乃(信忠,信雄,五徳姫の母)の墓がある


− 愛知県−
那古野城 織田信長誕生の地で、現在の名古屋城二の丸付近とされる。なお信長は勝幡城(中島郡平和町)で生まれたという説もある。
清洲城 信長が尾張を統一するまで居城としていた城
小牧城 美濃併呑を狙った信長が清洲から居城を小牧に移す
総見寺 信長の二男信雄が父の菩提を弔うために建立
万松寺 織田信秀の菩提寺、この寺で父信秀の葬儀が行われたが、この時信長が位牌に向かって抹香を投げつけたというのは有名である。
熱田神宮 桶狭間に向かう信長が戦勝祈願をし、勝利を得た礼として塀を寄贈している
政秀寺 若い頃傍若無人だった信長にたいし、自らの死を持って諫めた平手政秀の菩提寺
大御堂寺 信長の三男・織田信孝切腹の野間・大御堂寺には信孝の墓がある
安養寺 織田信孝が野間で切腹した寺


− 京府府 −
本能寺 信長の墓と戦死者の合祀墓がある
旧本能寺跡(信長自刃の地) 天正10年、本能寺の変の舞台となった寺、信長自刃の地でもある !
阿弥陀寺 僧・清玉が建てたという信長,信忠の墓の他、森兄弟の墓もある
信長の首洗い井 阿弥陀寺の住職清玉上人が信長の首級を持ち帰る途中に、首級を洗ったと伝えられる
大徳寺総見院 信長死後、秀吉によって建立され、信長,信忠,信雄,五徳姫、およびお鍋の方等、織田一族の墓がある
建勲神社 明治天皇より建勲の神号を賜り、織田信長を祭神として祀られている
正伝永源院 織田有楽斎、および一族の墓がある
妙心寺玉鳳院 織田信長,信忠父子の供養塔がある
大雲院 織田信長,信忠父子の供養塔がある
南蛮寺 信長の保護の元にヤソ会の宣教師たちが布教活動のために建てた
旧二条城 信長が足利義昭のために築城


− 三重県−
福蔵寺 織田信孝の菩提寺

お奨めの書籍

お勧め度



天下統一を目前に油断した織田信長は、明智光秀に夜襲をかけられて自害。これが四百年以上も変わらぬ「本能寺の変」の定説だ。しかし事件の経過を詳しく見いいくと、いくつもの謎が浮かびあがる。なぜ光秀は、信長一人を暗殺するのに、奇襲には不向きな一万三千という大軍を動員したのか?その大軍の移動になぜ織田方は気がつかなかったのか?定評ある史料をもとに、従来の定説をくつがえす衝撃の書。

お勧め度



お勧め度




信長グッズ<PR>

ジッポー・オイルライター



戦国武将ペンダント・織田木瓜


天下布武Tシャツ



近江の城郭 に戻る










ほんとに出来るの〜ネットで金儲け

健康とダイエット.com