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野間・安養寺

 野間の安養寺は、天正11年(1583)織田信長の三男・織田信孝が秀吉との戦いに敗れ、自害をさせられた寺です。
自害する際に詠んだ世辞の句、「昔より主をうつみの野間なれば、報いをまてや羽柴ちくぜん」は、信孝の戦国武将としての生き様をよく表しています。
近くの大御堂寺には源義朝の墓と共に織田信孝の墓があります。

安養寺
 真言宗豊山派で鶴林山安養寺といい、知多四国53番目の札所となっています。
織田信孝関連の史跡として、天正11年(1583)、羽柴秀吉との戦いに敗れた織田信孝自刃させられた「信孝自刃の間」,自刃に用いた短刀(末国俊作)、、および自刃の際、腸をつかみだして投げつけたとされる血染めの軸などがあります。
 安養寺はナンジャモンジャの木であるヒトツバトゴの咲く寺としても有名。


安養寺の本堂


【所在地】
愛知県知多郡美浜町大字布土字大池176
詳細位置はコチラ mapfan

【訪問日】2006年5月1日
【現地を訪れて】
 安養寺の境内に樹齢650年の蘇鉄があり、信孝が自害したときの歴史を知っているかと思うと、タイムスリップしたような気になりました。
 信孝自刃の間は公開していないということで、残念ながら見せていただけませんでした。



−織田信孝関連の史跡−
神戸城
神戸信孝時代の居城
福蔵寺
信孝の菩提寺
大御堂寺
信孝の墓がある

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