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安土城内にある信長廟,信雄とその一族の墓

信長廟

 安土城内の信長廟は、天正10年(1582)に京都大徳寺で信長の葬儀をとり行った羽柴秀吉が、信長の菩提を弔うために建立したものである。この時、秀吉はハ見寺の住職は代々、織田家縁のものがつとめ、信長の菩提を弔うようにと云ったとか。
 信長の墓と称するものが全国に20カ所ほどあるという。勿論、本能寺で自刃した信長の遺体は見つかっておらず、墓というよりもすべて供養塔の類である。

信長廟
二の丸にある信長廟


織田信雄とその一族の墓

信雄と一族の墓
信雄と一族の墓

 二の丸の一画、長谷川屋敷と称される曲輪に四基の墓塔があります。 これらの墓塔は、信長の二男・信雄と、信雄の四男で大和宇陀(奈良県大宇陀町)を領した高長、およびその子の長頼と、孫の信武のものだと案内されている。
左から高長(信雄の四男),長頼(高長の嫡子),信武(高長の孫)、信雄


【所在地】滋賀県蒲生郡安土町下豊浦
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