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政秀寺

 政秀寺は瑞雲山と号し、臨済寺妙心寺派の寺で、天文22年(1553)織田信長が、自分の素行不良を嘆いて諫死した平手政秀の菩提を弔うため、小牧山の南、小林村に創建し、沢彦和尚を開山とした。
寺は天正12年(1584)小牧・長久手の戦いで焼失。その翌年清洲に再興され、慶長15年(1610)清洲越で現在地に移築された。
 本尊は木造十一面観音菩薩坐像、政秀の墓はかって本寺にあったが、今は平和公園墓地政秀寺墓域に移されている。
名古屋市教育委員会

政秀寺
政秀寺
 若い頃の織田信長は “うつけ” と呼ばれ、その達振る舞いは傍若無人であったことは知らぬ人とて無いほど有名である。その素行は父・信秀の死後も変わることはなかった。守り役の平手政秀は、信長に幾度となく諫言するが、聞き入れられず、自らの死をもって信長を諫めたという。この平手政秀の死がこたえたのか、その後信長の素行は改まり、尾張一国の統治者として行動するようになったと云われている。
 一方で、政秀の死は、信長と織田一族との対立により、政秀の立場を苦しめた結果だとする説もある。

【所在地】名古屋市中区
詳細位置はコチラ

【訪問日】2005年4月9日

【現地を訪れて】
 政秀寺は若宮本通りに面しており、位置は分かりやすいだのが、門扉が閉ざされ、境内に入ることすら出来ない。案内板は門扉の外からでも目のつく位置にあるのだが、あまり視力がよいとは云えない私には内容までは読み切れない。もう少し、配慮が欲しいところである。
 平手政秀の墓はすでに平和公園に移されており、訪れる人とてないのだろうか。



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