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円徳寺

織田塚

 比叡山の寂円律師が平家の西海に走った寿永2年に長旗の地に法泉寺を創建する。第二世寂照が親鸞聖人に帰依して真宗に改宗し常泉坊の名をたまわる。 天文16年秋、織田信秀の軍が稲葉城の斎藤道三を攻め大敗し、犬山城城主・織田信康他、五千人が戦死し合葬して織田塚と称す。

  織田信長、永禄7年稲葉城に入城し、その本陣の跡(いもあらいの里)四町四方をこの寺に寄進し、その門前に楽市楽座を開く。  関ヶ原の前戦に岐阜城落ち、城主織田信秀、この寺に来たり住職教了により剃髪し仏門に入り、紀州高野山に赴く。
現地案内板より

織田塚
改葬されたと伝えられる伝織田塚
 寺伝では、円徳寺が永禄年間に織田塚の西方300mの現在地の移転し、安永5年(1776)安八郡神戸村善学院僧金龍が織田塚を円徳寺境内に転葬し、塚上にに碑を建てたと伝えられる。


楽市楽座札 (国指定重要文化財)

楽市楽座札の碑
楽市楽座札の碑


天下布武の朱印
中央、天下布武の朱印
 左から織田秀信,織田信長の楽市楽座制札で、中央は信長の天下布武の朱印を形取ったもので、朱印の右が池田輝政,池田元助の楽市楽座制札。いずれも国指定の重要文化財となっている。


信長が寄進した梵鐘(市指定文化財)

信長が寄進したと云われる梵鐘
信長が寄進したという梵鐘
 朱塗りの鐘突堂は非常に珍しく、信長寄進した当時から朱塗りだったのだろうか・・・・・。

【所在地】
岐阜市神田町6丁目
詳細位置はコチラ

【訪問日】2005年3月20日

【現地を訪れて】
 岐阜駅前の繁華街の一角、林立するビルに囲まれるように建っている円徳寺の境内には葬祭用のホールが建てられており、趣と云った点ではかけらもない。(^^)
しかし、岐阜城下で楽市楽座が開かれた場所や町屋が、そのまま現在の岐阜の繁華街になっていることがわかる点では興味深い。



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