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道三塚(岐阜市指定史跡)

 斉藤道三は斉藤義龍と長良川を隔てて戦い、弘治2年(1556)4月18日、長良川中渡しの合戦に打って出たが、道三方は敗れて大半の将兵が戦死した。道三自身も4月20日城田寺に退れようとするところを長井中左衛門、小牧源太、林主人などによって討ち取られたという。
 その遺体は宗福寺の西南に埋葬されたが、塚は長良川の洪水の度に流された。その後、天保8年(1837)常在寺第27世、日椿上人が現在の地に移して碑を建てたものである。
岐阜市教育委員会   現地案内板より


道三塚
住宅地の一角にある道三塚


斎藤道三の墓
斉藤道三の墓

 斉藤道三は織田信長の正室・濃姫の父(舅)で、正徳寺で会見した後、「我が子らは、みんなあの男の門前に馬をつなぐことになるだろう」と云ったとか、云わないとか。また、信長は会見中に一言、「であるか」としか話さなかったとか。
 これらが本当かどうかは定かではない。、小説に書かれたことが、いかにもまことしやかに語られ、信じられ、現在の信長イメージを作り上げているようだ。
それにしても、信長はどうして舅である道三の墓を作らなかったのか不思議な気がする。このあたりにも信長と濃姫の関係が推察できるような気がする。  ・・・・・・・・・・もし、信長が建てた道三の墓があり、ご存じの方はご教示ください。


【所在地】
岐阜市道三町
詳細位置はコチラ
【訪問日】2004年10月17日
【現地を訪れて】
 まさか斉藤道三の名前が町名になっているとは思いもしなかった。これなら塚は簡単に見つかると思っていたのだが、訪ねる人によって場所が、てんでバラバラで、たどり着くまで塚の周囲をグルグルと廻ることになってしまった。
道三塚は通りに面した“家具屋”裏手だが、宅地に隠れて見えないので要注意。
 以前、塚はもっと大きくかったそうであるが、現在では周囲に立ち並ぶ宅地に遠慮するように宅地一軒分ほどの大きさである。



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