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阿弥陀寺

織田信長,信忠、森兄弟の墓
 織田信長に仕えた僧・清玉の創建で、元は近江国坂本にあったが、信長の帰依を得て今出川大宮に移された。天正10年(1582)信長が本能寺で自刃した際、清玉がその遺灰を集め当寺に葬ったという。天正13年に今出川大宮から現在の地に移った。
 本尊の傍らには信長,信忠の影像が安置してあり、境内墓地には信長,信忠父子の墓と、本能寺で討ち死にした森欄丸のほか120名余りの墓がある。

阿弥陀寺
阿弥陀寺山門


織田信長,信忠の墓
織田信長,信忠の墓
 向かって右が信長の墓、左が信忠の墓。
信長の法名は、「総見院殿贈一品大相圀泰岩大居士」、信忠の法名は、「大雲院殿三品羽高岩大前条定門」


森欄丸の墓
森兄弟の墓(左から蘭丸,力丸,坊丸)


【所在地】
京都市寺町通今出川上ル鶴山町
詳細位置はコチラ

【訪問日】2004年9月13日
【現地を訪れて】
 阿弥陀寺は寺の多い寺町にあっては、比較的小さな寺である。この小さな寺に信長の墓があるのは、それにりに何か謂われがあるのだろうと考えられたが、創建した清玉が信長に仕えたことがあると分かって納得。
時の権力者羽柴秀吉が建てた大徳寺総見院の墓と比べると、「これが信長の墓?」と思えるほど、大きさでは見劣りがする。しかし、墓そのものは年代が感じられ、戦国武将の墓としてはこちらの方が好ましく感じられた。

【京都市内の関連リンク】
  ・大徳寺総見院
  ・建勲神社
  ・本能寺
 


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本能寺の変後、信長はどこへ消えたか――。日本史最大の謎に挑んだ本格歴史ミステリー。光秀謀反にちらつく秀吉の陰謀。阿弥陀寺の僧・清玉が握る秘密の鍵。そして、主人公・太田牛一が最後につかんだ驚愕の事実とは。


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