近江における戦いと城郭

姉川の戦い,小谷城攻め
小谷城
浅井家3代の居城で、日本五大山城のひとつ
大嶽城
小谷山と峰続きの大嶽山にある、小谷城の支城
横山城
小谷城の重要な支城のひとつで、東山道監視の役割を担い、姉川の戦いにて織田軍が占拠
虎御前山砦
織田信長の小谷城攻めに際して最前線基地となった
刈安尾城
京極氏時代の遺構と浅井・朝倉氏が対信長戦に備えて改修した遺構が混在している
長比城
江濃国境に於ける浅井氏の防御拠点のひとつ
街道を駆け抜けた戦国武将たち、姉川の合戦」の講演要旨
講師:中井均氏(米原町教育委員会)
2001年2月25日 滋賀県立長浜文化芸術会館


賤ヶ岳の戦い
玄蕃尾城
越前と近江の国境に柴田勝家が築城し、本陣を構えた
長浜城
柴田勝家の養子・勝豊が守備するも、緒戦にて落城
行市山砦
柴田軍の佐久間盛政が布陣
別所山砦
柴田軍の前田利家が布陣
林谷山砦
柴田軍の不破勝光,毛受勝助・家照兄弟,徳山五兵衛秀現等が布陣
中之谷山砦
柴田軍の原彦次郎長頼が布陣
東野山砦
賤ヶ岳の合戦時に秀吉軍の勇将、当時・佐和山城主であった堀秀政が築城,布陣
賤ヶ岳砦
秀吉軍の桑山重晴,羽田正親,浅野与兵衛らが布陣、賤ヶ岳の戦いで一番の激戦地となる
田上山砦
秀吉軍の羽柴秀長が秀吉の本陣を守る形で布陣
天神山砦
秀吉軍の山路正国,木下一元等が布陣
堂木山砦
秀吉軍の木村隼人が布陣
大岩山砦
秀吉軍の中川清秀が布陣
岩崎山砦
秀吉軍の高山右近が布陣
小谷城・山崎丸
大嶽城西尾根にあって、賤ヶ岳の戦いに備えて秀吉が改修したのではないかとされている
小谷城・福寿丸
大嶽城西尾根にあって、賤ヶ岳の戦いに備えて秀吉が改修したのではないかとされている
街道を駆け抜けた戦国武将たち、賤ヶ岳の合戦」の講演要旨
講師:中井均氏(米原町教育委員会)
2001年3月4日 滋賀県立長浜文化芸術会館
レポート 賤ヶ岳の軍道(玄蕃尾城〜行市山砦)を歩く
レポート 再び、玄蕃尾〜行市山の軍道を歩く

 賤ヶ岳の戦いにおいて玄蕃尾城に構える柴田勝家、行市山砦の佐久間盛政を中心とした柴田軍は
山中に軍道を造って物資の輸送、軍事行動の迅速化を図ったとされています。
この軍道を友人と歩いたときのレポートです。


関ヶ原の戦い
佐和山城
石田三成の居城、関ヶ原にて西軍敗走の後落城
大津城
京極高次が寡兵で西軍の大軍を相手に籠城戦を展開
松尾山陣城
関ヶ原の戦いに際して小早川秀秋が陣を構えた所、関ヶ原を一望できる
毛利秀元陣
関ヶ原の戦いで毛利秀元が布陣
安国寺恵瓊陣
関ヶ原の戦いで毛利家の家臣・安国寺恵瓊が布陣
大垣城
石田三成等西軍は大垣城に入り、この大垣城で東軍との戦いを想定していたが、東軍は大垣城を横目に中山道を下る
岐阜城
織田信長の孫・秀信(三法師丸)は西軍につき、岐阜城に籠もるが東軍に攻められ落城
街道を駆け抜けた戦国武将たち、関ヶ原の戦い」の講演要旨
講師:中井均氏(米原町教育委員会)
2001年3月11日 滋賀県立長浜文化芸術会館



近江の城郭に戻る