再び、玄蕃尾城〜行市山砦の軍道を歩く (2004年7月3日)

 2004年5月中旬に "つるが山楽会" の熱意と努力によって内中尾山(玄蕃尾城)から行市山までの山道が整備された。この情報は5月のゴールデンウィークに玄蕃尾城へ行った時に、、整備作業をされている山楽会のメンバーの方からお聞きしたのですが、なかなか訪れる機会がなく、7月になってようやく歩いてきました。
2002年12月に歩いた時とは反対の内中尾山から行市山までの比高差約250mの登りのコースです。

 日中の暑さを少しでもしのぐために自宅を早く出て、7時30分に柳ヶ瀬から刀根街道を歩き出す、8時過ぎには玄蕃尾城下の峠に到着。ここまでは日陰と朝早いこともあって、いたって順調。峠には、敦賀教育委員会と余呉町教育委員会が新たに設置した、郵便ポスト風の洒落た保管箱に "玄蕃尾城見学者受付ノート"が置かれていた。これも山楽会の熱意が教育委員会を動かしたのかも知れない。
 小休止をとった後、行市山に向けて出発。急な斜面につけられた階段を登り切ると、緩斜面が続くが道はシッカリとつけられていた大変分かりやすい。
前回歩いた時には内中尾山からしばらく続く登りに、杉林の枝うちされた下枝と枯葉が斜面に相当厚く積もっていて歩きに難くて難儀したのだが、その枝もきれいに取り払われていた。

 道はシッカリとつけられていて迷うことはまずないが、何カ所かに赤い案内板が取り付けられていて、道を間違っていないことを確認できるのも心強い。持って行った国土地理院の1/2万5千の地図をほぼ中間点までは、現在地の確認と、後方の立木の中から垣間見る玄蕃尾城の位置を確認する程度に使ったぐらいで、地図を見ることもなく歩けた。

行市山に近づくにつれてクマザサが多くなり、前回背丈を超えるクマザサの海で長時間藪漕ぎを強いられた記憶が蘇る。このコース最大の難所だが、このクマザサの海も幅2mほどに渡ってきれいに刈り取られ、何の問題もなく歩くことが出来、約2時間半で行市山の山頂に到着した。

 前回のように磁石と地図を頼りに歩き、道無き道を踏破したという充実感は望むべくもありませんが、玄蕃尾城下の駐車場と行市山下の林道のいずれかに置き車をすれば、ハイキングコースとして誰でも歩けるようになっていました。
 さて、湖北と云えば熊の出没が心配ですが、このコースには熊が縄張りを示すために付けるという、木に付けられた熊の爪痕は見ることはありませんでした。しかし熊が出ないという保証にはなりませんので、お出かけの際には、十分に注意して自己責任でお出かけください。
そうそう、コース間で蛇を5匹見つけましたが、そのうち2匹は体長20cmほどのマムシでした。(^^;

 肝心の遺構ですが、コース上、若しくはコース近辺に宿営地ではないかと考えられる遺構を幾つか確認してきました。中にはハッキリと土塁で囲まれた箇所もあり、内中尾山と行市山の間を往復した伝令の中継基地が設けられていたであろうことを確信しました。












 前回はコースを探して歩くことに気をとられて、写真を1枚も撮ってこなかったのですが、今回はシッカリと撮ってきましたので、幾つかご紹介します。

    
正面の低土塁の向こうに削平地

4m×6mほどの方形の窪地


土塁で囲まれた空間

薬研堀状の窪地

                   

 2002年12月に行市山から玄蕃尾城まで歩いた後、いつかはもう一度歩いてみたいと思っていたのですが、"つるが山楽会" の皆様方に山道を整備していただいたおかげで、今回は軍道を楽しみながら、しかも短時間で歩くことが出来ました。
改めて、つるが山楽会の皆様方に感謝する次第です。ありがとうございました。m(_ _)m

2004年7月4日 記 --- 野暮


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