よみがえる敏満寺〜シンポジウム参加報告〜

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開催日時:2003年11月16日(日) 13:00〜15:00
開催場所:犬上郡多賀町中央公民館
出席者 :コーディネータ 木戸雅俊氏 (滋賀県文化財保護協会)
      パネラー
      小和田哲夫氏 (静岡大学)
      土井通弘氏 (滋賀県立琵琶湖文化館)
      中井 均氏 (米原町教育委員会)
      松下 浩氏 (滋賀県城郭研究所)

現地説明会及びシンポジウムに参加しての感想

 この参加報告は、13時から15時まで小和田氏,土井氏,中井氏及び松下氏の講演の後行われたシンポジウムの内容についてまとめたものです。
 今回の講演会およびシンポジウムは出席された先生方の研究分野が多彩で、今までに参加した数々の講演会やシンポジウムの中では最も充実した内容ではなかったかと思っています。
しかし、シンポジウムでは聞き慣れない、"ぞうこつき","がとう","ぼくしょ",”ぎょくたい"等々の単語がバンバン出てきて、「なんのこっちゃーわからん」と感じたのは私だけだったでしょうか。(^^;
城に関する単語についてはだいたい分かるのですが、ちょっと分野が違うと分からないことが多く、改めて自分の知識の浅さを再認識した次第です。そんなわけで、文中に誤字などがある場合は、ご教示いただければ幸いです。

 分からない単語が多かったこと以上に、シンポジウムの内容を難しくしていたのが、コーディネーターの木戸氏を含めた出席者の出土遺物に対する推定年代の表現が異なる点があげられます。内容的には非常に充実したものだっただけに非常に惜しまれます。多賀町若しくはコーディネータの木戸氏からシンポジウムが始まる前に、こうした遺物に対する簡単な説明があればと感じました。
ちなみに現地説明、およびシンポジウム参加者の発言から、遺物の年代に関する発言をピックアップしてみると以下のようです。

★多賀町教育委員会の現地説明
 発掘調査はしておらず、具体的なことは分からないが地表面から採取した土器を見てみると12世紀の終わりから15世紀の終わりのものである。
★中井氏発言
@ 一番年代の古いものは12世紀の石仏、圧倒的に多いのは13〜14世紀
A 12世紀頃瓦葺きのお堂が成立し、13〜14世紀にお寺に係わった人たちが葬られた蔵骨器が出てくるのではないかと思います。
★土井氏発言
@ 蔵骨器は12〜 13世紀が量的に多い
★木戸氏発言
@ 仏さんは16世紀ぐらいで、地面の下から出てくる蔵骨器は200〜300年遡る13〜14世紀にお寺に係わった人たちが葬られた蔵骨器が出てくるのではないかと思います。
A 一番古いものは12世紀に遡るわけですが、13〜15世紀の蔵骨器が納められていることに疑問を抱いている。
B 13〜14世紀を主体とする中国の焼き物、あるいは日本の古瀬戸,常滑と云われる焼き物石仏の大部分は16世紀のもの。
16世紀のものと推定される石仏
石仏は型で年代が識別出来るようである、上の石仏には屋根がついているが、それ以前のものは屋根が無く、以後のもは仏が蓮台の上に乗ったものになるようである。

 以上のように全体的なイメージが掴みづらい表現が多かったわけですが、現地説明会とシンポジウムに参加した私が今でも分からないのが、現地を説明した多賀町職員の「まだ、発掘はしていない」と云う発言でした。
こうした説明にもかかわらず、シンポジウムでは地中からは蔵骨器が出ているとの発言があり、「どないなってるねん!」と、ごっつう〜ストレスが溜まってしまいました。(^^;
 勿論、胡宮神社の展示場で遺物は公開されてたのですが、何の解説もなく、もう少し一般の者にも分かりやすい配慮が望まれました。
それとも現地説明会の時に、私が聞き逃したのでしょうか。(^^)
シンポジウムの概要を読まれる前に、以下のことを理解したうえで読まれることをお勧めします。

 出土遺物に関して要約すると以下のようです。
   @ 地表面から出土した石仏で年代的に一番古いものは12世紀頃のもので、大部分は16世紀のものである。
   A 地表面か、地中かは不明だが古瀬戸や美濃,常滑の焼き物が発見されており、これらは蔵骨器に使用されたものと考えられ、13〜15世紀のものである。

 ・敏満寺遺跡石仏谷の現地説明会概要
 ・シンポジウム 中世城郭敏満寺の謎

2003年11月22日 作成  文責:箕浦
2004年1月2日 改訂



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